琉球王国時代に生まれた沖縄伝統工芸
琉球王国時代の沖縄は、中国や日本、東南アジア諸国と貿易が盛んに行われていました。
外国から取り入れられた文化と土着の文化が融合したことで、沖縄独自の伝統工芸品が生まれました。
現在見られる紅型や琉球漆器、やむちんなどの工芸品の「沖縄らしさ」のルーツは、王国時代に生まれただまざまな文化にあります。
華やかな色彩が美しい紅型はかつて琉球の貴族が身に付けていた染め物です。献上品としても重用されていました。
琉球漆器は高度な漆工芸法を持っていた中国から技法を学び、琉球王府が磨き上げたものです。高温多湿な沖縄の風土が漆芸に適していたのも琉球漆器が発展した由来と言われています。
温かみのあるデザインで親しまれているやむちんは、王府が各地に点在窯場を壺屋に集めたことで発展しました。
工芸品が持つ歴史背景を知れば、より面白く楽しくお土産を選ぶことができます。また、伝統工芸品を見ているときに琉球時代の王や貴族たちが使っていたところを想像してみるのも楽しいかもしれませんね!
紅型
15世紀ごろ、インドやジャワ更紗などの技法が伝わったことが始まりです。
18世紀いは現在の技法が確率されました。王府のお抱えの絵師がデザインを染めは紺屋と呼ばれる専用の職人が担当していたと言われています。
着物だけでなく壁飾りなどの作品も、繊細な手作業で色付けされています。現在は花柄などが多いです。
何重にも色を重ねて、染め上げていきます。
黄色や赤など鮮やかなものだけでなく、藍や白など淡い色もあります。
琉球漆器
中国や日本との交易が左官で、沈金や螺鈿、箔絵などの技法を学びました。
王国時代、上質な琉球漆器の生産に力が注がれ王府や上級士族、中国や日本への御用達品に用いられていました。
艶のある黒塗りや朱塗りの地に、夜光貝などの光沢のある貝を使って装飾する螺鈿細工などを施すのが特徴です。
やむちん
ルーツの一つが、壺屋焼きです。1682年に王府が涌田焼き、知花焼きなどを現在の那覇市壷屋に集めて統合しました。
その後、朝鮮の高度な技術などが伝わったことで大きな発展を遂げたと言われています。
手作りの素朴な風合いが持ち味です。家庭でも日常使いができる器がとても人気です。
琉球ガラス
物不足が著しかった戦後の沖縄で、アメリカ軍が持ち込んだ色付き廃瓶を溶かして造ったことが始まりです。
それが米軍に受けてとても人気が出ました。
現在は廃瓶から作る工房は少なくなっています。
琉球王国
約450年の長い間、沖縄本土の首里に拠点を起き、存在していた国です。
沖縄の文化を形作った国で、沖縄の工芸品のほか、食や芸能を語る上でも重要な鍵を握っています。
琉球王国時代は15世紀前半から始まりました。1429年に設立し1879年までの間、沖縄本島を中心に琉球諸国を統一していました。
首里城がその拠点です。
初代の王は尚巴志で、南山、中山、北山の三山に分裂していた国を統一し琉球王国が誕生しました。
海外との貿易に積極的だった尚巴志は、中国を主軸に、日本、朝鮮および東南アジアのベトナム、タイと貿易を行っていました。
はじめに生まれたのが琉球漆器で、その次に紅型、やむちん、琉球ガラスという順に沖縄に伝わってきたと言われています。
まとめ